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青森県平川市の平川めぐみ教会へようこそ


メッセージ

赤ちゃんも子供も、
若い人も働きざかりの方も、
主婦の皆さんもお年を召した皆さんも、
聖書が与える喜びと感謝、
恵みを体験しませんか?
平川めぐみ教会は、
あなたのための祝福をお祈りいたします。
平服でお越しください。
皆さんとお会いできることを
楽しみにしております。

クリスチャンが持っている不思議な喜び

 
 こうして、私たちは信仰によって義と認められたので、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。
 このキリストによって私たちは、信仰によって、今立っているこの恵みに導き入れられました。そして、神の栄光にあずかる望みを喜んでいます。
 それだけではなく、苦難さえも喜んでいます。それは、苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです。
 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
 実にキリストは、私たちがまだ弱かったころ、定められた時に、不敬虔な者たちのために死んでくださいました。
 正しい人のためであっても、死ぬ人はほとんどいません。善良な人のためなら、進んで死ぬ人がいるかもしれません。
 しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。
 ですから、今、キリストの血によって義と認められた私たちが、この方によって神の怒りから救われるのは、なおいっそう確かなことです。
 敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させていただいたのなら、和解させていただいた私たちが、御子のいのちによって救われるのは、なおいっそう確かなことです。
 それだけではなく、私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を喜んでいます。キリストによって、今や、私たちは和解させていただいたのです。"
ローマ人への手紙 5章1~11節




 クリスチャンの私たちは不思議な喜びを持っています。私は2014年の4月に一人で青森県平川市という未伝地(教会のない地)で開拓伝道を始めました。それまで15年ほど滋賀県に住んでいましたので、日本語はできたものの、教会開拓は初めての体験でした。最初はだれも知りませんでしたので、毎日は孤独との戦いでした。2014年9月に公開礼拝を始めましたが、なかなかうまくいきませんでした。礼拝に人が来ることを望んで、万全な準備をしたのですが、礼拝に誰も来ないことが多かったのです。座布団だけの礼拝はよくありました。普通に考えれば苦難の状況だったので、諦めることは当然の選択だったかもしれません。しかし、諦めなかった理由がありました。それは神さまが不思議な喜びを与えてくださったからです。試練だったので、祈らずにいられませんでした。今まで苦手だった祈りは神さまのめぐみによって開かれました。今まで以上に祈りを捧げる毎日でした。そして、結果として神さまの驚くべき愛をより強く感じました。神さまの私に対しての愛もそうでしたが、同じ平川市に住む方々に注がれている愛を感じました。こんなに愛されている私は諦めることはできません。こんなに平川住民のみなさんは神さまに愛されているので、きっと神さまは伝道の道を開いてくださると信じていました。そして、忍耐の末神様は不思議なことをしてくださったのです。ずっと一人で奉仕しましたが、開拓7年目のときにようやく協力者が与えられました。中村ファミリーがコロナ過の最中に3ヶ月の赤ちゃんを連れて一緒に働くために平川に引っ越ししてくれたのです。また同じ年の12月に奇跡がおこり、私たちは会堂を購入することができました。そして次の年の4月には開拓8年目に初の受洗者が与えられました。



 今日の聖書の箇所で「苦難さえも喜んでいます」と書いてあります。クリスチャンの特権は苦難においてでさえも喜ぶことができるということです。それは苦難の故に喜ぶのではありません。私たちは苦しみを好むおかしな人々ではありません。戦いより、当然平凡の方が良いのです。しかし、クリスチャンの私たちは知っています。それは神さまが苦難さえ私たちの益に変えることができるということです。開拓伝道の最初は試練の連続でしたが、そのおかげでいっそう主に頼ることを学びました。結果としては、祈りの生活が開かれました。そして神さまの愛をより強く感じることができました。試練のおかげで成長ができたのです。前述の聖書箇所でこう書いてあります「それは、苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」

 クリスチャンの私たちにとって苦難は無意味なものではありません。神さまは苦難でさえ私たちの益として用いてくださいます。



 そして、このようにも書いてあります「神の栄光にあずかる望みを喜びます」。私たちが現在通っている苦難を喜ぶことだけでなく、将来において素晴らしい希望があることを知っているので喜ぶことができるのです。クリスチャンは苦難の中で、喜びが維持できるだけではなくて、喜びが増していきます。それは苦難の中で私たちに与えられている永遠の「希望」はより身近なものとなっていくからです。なぜなら試練のときは今の一時的な苦しい状況よりも、神さまが私たちのために用意してくださっている永遠の命に目が留められるからです。平凡な日々のときに、神さまの驚くばかりの恵みは当たり前のように感じてしまいます。しかし、苦しい状況のときには、イエスさまが私たちのために苦しまれたことを思い出させます。私たちがまだ神さまの敵であったとき、まだ不敬虔だったときにイエス様が私たちの救いのためにいばらの道を通られました。そのことこそ神さまの恵みです。十字架の上で神さまが私たちに完全な愛を示してくださいました。十字架の上で私たちのすべての罪が洗い流されました。このことこそ私たちの心に喜びをもたらしてくださるのです。

 「しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。
ですから、今、キリストの血によって義と認められた私たちが、この方によって神の怒りから救われるのは、なおいっそう確かなことです。
 敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させていただいたのなら、和解させていただいた私たちが、御子のいのちによって救われるのは、なおいっそう確かなことです。
 それだけではなく、私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を喜んでいます。キリストによって、今や、私たちは和解させていただいたのです。」

「全世界に出て行って」

 平川の働きはヨシュア・プロジェクト(南さつまキリスト福音教会牧師上田正美先生)の、「教会のない町に教会を建てるビション」から始まりました。そして、平川キリスト福音教会は、2017年8月、守山キリスト福音教会の枝教会として正式に単立ペンテコステ教会フェローシップ(TPKF)に加入できました。

平川めぐみ教会の献堂式と教会名の変更について

献堂式


 4月24日に主の恵みにより平川めぐみ教会の献堂式を無事終えることができました。私たちの思いは一つでした。それは主が私たちのためにしてくださったことを感謝し、共に喜び、主を礼拝し、そしてすべての栄光が主に帰するようにというものでした。すべての栄光が主に帰することができた献堂式であったことを本当に感謝します。親教会である守山キリスト福音教会の国内宣教師、ヨシュアプロジェクトの創立者である上田正美先生がメッセージをしてくださいました。私も主の素晴らしい助けをいただきながら通訳の奉仕をさせていただきました。主がすべてを備えてくださった献堂式でした。献堂式の五日前に中村伝道師家族がコロナ感染による陽性反応が確認されました。しかし、濃厚接触者がいなかったために予定通りに献堂式を行うことができました。大変感謝なことに守山キリスト福音教会の主任牧師である上田勇矢先生は献堂式に出席するためにもともと来られる予定でしたので、PAや配信などを担当していただけました。感謝と感動にあふれる素晴らしい献堂式でした。とても嬉しいことに母がオーストラリアから献堂式のために来日できました。当時は観光ビザが発行されていませんでしたが、主のめぐみによって奇跡的に短期滞在ビザが降りました。主から素晴らしいプレゼントでした。


教会名の変更について


 新会堂が与えられたときに、教会名を「平川めぐみ教会」と変更することが決定しました。このプロジェクトが立ち上がったとき、中村伝道師ご夫妻とネヘミヤ書を一緒に学びました。ネヘミヤ書では、主が絶望的な状況から、奇跡を起こし、迫害と戦った末に、エルサレムの城壁が建てあげられました。それによって、主の礼拝が復活しました。主がしてくださったことに感動を覚えた神の民が神殿の献堂式のときに多くの約束をしました(ネヘミヤ書10章30-39節)。それは異邦人と関係を結ばないこと、主の安息日を守ること、十分の一をささげること、祭司たちとレビ人を支えるという内容でした。神殿の献堂式の直後にネヘミヤはアルタクセルクセス王に城壁の完成の報告をするためにスサに戻りました。片道55日の旅でした。王への報告を終え、エルサレムに戻ったときにネヘミヤは神の民が約束したことを何一つも守っていないことを知りました。

 イスラエルの民の行いは、人間の決意だけでは不十分であることが分かります。主の御心を行うには、めぐみによって与えられる聖霊のちからがどうしても必要です。聖霊のちからは日々主に頼るものとなり、めぐみによって与えられる聖霊によって新しく変えっていただく必要があります。日々主に頼りながらめぐみによって与えられる聖霊の力によって栄光から栄光に変えっていただきたい、その願いをこめて教会名を「平川めぐみ教会」と変更とさせていただきました。

2021/11/14 

平川キリスト福音教会 新会堂プロジェクトの証

中西 ペニー 

これは主がなさったこと。
私たちの目には不思議なことだ。詩篇118:23

 私たちの教会はとても小さい群れで、平均礼拝出席者は毎週十三人程です。二千万円以上もする新会堂を購入するための資金もまた力も持っていませんでしたが、主が不思議な御業をこのプロジェクトを通してなしてくださいました。

 約八年前に私は未伝地であった平川市に教会を建てるためにやって来ました。もちろん知っている人はだれ一人いませんでした。また自宅を教会とする条件で貸し出してくれる家を見つけることも容易ではありませんでした。不動産屋さんに電話で問合せをすると「ちょうどよい物件がありません」と何度も断られました。諦めることはできないので、不動産屋さんに直接行くことにしました。私の熱意が伝わり、42㎡の可愛い平屋を紹介されました。その物件は今日に至るまで愛着いっぱいの場所となり、毎週の礼拝、平日に行われる英会話教室、またゴスペル教室を開催するための場所として利用してきました。さらには、毎年行われるクリスマスパーティ、夏のBBQ、ゴスペルコンサート、リーダーセミナー、子育てセミナーの場ともなりました。多いときには30人以上の人が集会に参加されることもありました。感謝いっぱいのこの場所ですが、小さいだけに苦労も多くありました。集会ごとに重い機材や家具を出し入れしなければなりませんでした。一人で開拓することは本当に体力的に、また精神的に大変なところがありましたが、心優しい神様は今年三月に待ちに待った助け手を与えてくださいました。中村光芳&クリスティン宣教師の家族6人家族がコロナ渦の中にも関わらず平川に来てくださったのです。

 彼らが加えられると6畳の礼拝は今までよりもずっと狭く感じられ、中村光芳師から、もっと広い場所が与えられるようお祈りしましょうと励まされました。実は教会堂を購入する願いは開拓当初からありました。地域に深く根を下ろすために田舎では、物件を購入することはとても大切だからです。また、教会にとっても新会堂を購入することは神さまの御心であることも知っていました。2016年10月に神学校時代の恩師が平川市を尋ねたときに、一つの預言をされました。「5年以内に教会堂が与えられます。」その預言を聞いたときに、私はわくわくした気持ちが与えられましたが、自分の給料でどのようにこのことが実現されていくのだろうとも思いました。私はすっかりこの預言のことを忘れていましたが、神さまが、この新会堂プロジェクトを与えてくださったことをきっかけに思い出させてくださいました。

 部屋を借りたいという相談をしたとき、最初の頃はきっぱりと断られた不動産屋さんでしたが、毎月家賃の支払いのためオフィスを訪れるたびに信頼関係を築いていくことができました。オフィスを訪れると「今、使っている場所は小さくて、もっと大きい場所が必要だ」という内容が挨拶代わりとなっていました。もっと大きい場所を祈り始めたとき、そのことを知った不動産屋さんは、今年の8月末に「ぴったりの物件がありますよ」と声をかけてくださいました。「頑丈な建物で建て替える必要はなさそう」「そのまま使えそう」だと言ってくれました。「ぜひ、見せてください」とお願いしました。そして、中村師と一緒にその建物を見に行きました。不動産屋さんが言っていた通り、とても頑丈で、そのまま教会堂として使用することができる物件であり驚きました。また今までの賃貸面積は42㎡でしたが、この建物の広さはその9倍ほどあり、391㎡の二階建てです。また平川市に住む人々に平川教会を知っていただくのにとても良い立地場所でした。踏切が近く、電車で通勤通学する人々も、教会の看板を毎日目にすることができます。平川市に住んでいる人々の多くが隣町である弘前市に行くときに必ず通る道沿いに建物が位置しています。小学校も近くにあります。これ以上ない好条件な場所なのです。さらに、この建物はもともと家具屋さんであり、一階は家具を置くためのスペースとして広々としていました。礼拝堂として用いるのにぴったりな物件でした。この建物を初めて見学したとき、神様が私たちに与えようとしている物件だということを確信しました。しかし、物件の価格は2100万円でした。教会にはほとんど貯金はありませんでしたので、神さまがどのような奇跡をなさるのかを見てみたいという気持ちが与えられました。

 新会堂プロジェクトが始まると、欠けていたパズルのピースが不思議な形で組み合わさっていきました。まるでネヘミヤ記3章のようでした。ここでは城壁の修繕するために様々な人たちが一緒に働きました。聖職者やそうでない様々な職業の人々、またあらゆる社会階層にいた人たちがいました。主の素晴らしい御手の中で皆が協力しあい、不可能と思われていた城壁の修繕が完了しました。同じように、新会堂プロジェクトのために、母教会である守山キリスト福音教会からの献金や融資、様々な助けと共に、オーストラリア、アメリカの教会や支援者、私たちの家族、平川にいる友人からの献金、日本全国から多くの献金が与えられました。それは、とても不思議な体験でした。そして、ついに新会堂購入に必要な金額が満たされていたのです。

 11月7日礼拝後、私たちは新会堂土地建物の売買契約を結ぶことができました。主が不思議なことをしてくださいました。感謝の気持でいっぱいです。この主の素晴らしい御業は、求道中の方々、英会話の生徒さんたちも共に体験されています。平川に来て、もうすぐ8年。この8年間は、ずっと種蒔きの時でしたが、今や収穫が近づいています。この収穫のために、主がこの素晴らしい新会堂を与えてくださったのだと確信しています。

中西ペニー師の証


 私がイエス様を信じる最初のきっかけは、教会の子どもキャンプで、私は8歳でした。家族がクリスチャンホームでなかったため、私は幼児洗礼を受けていませんでした。そのため、キャンプ後に母に洗礼を受けたいとお願いしました。

 私と日本の関係ですが、14歳のときにシドニーで1万人の若者が集う賛美集会に参加した際、主のささやきが私の心にありました。若者が多く集う賛美集会を日本でも持つことができるという内容のことを主が語ってくださった気がしました。この集会では日本や世界宣教については特に語られていなく、私自身日本とまったく無縁でしたので、主のささやきにとてもびっくりしました。その後祈りの心をもって、語られた言葉がどういう意味なのかを主に尋ねました。すると、あなたを日本に送りますという主のささきがありました。すぐさま牧師先生に連絡を取り、日本宣教に対する思いを神様からいただいたことを分かち合い、そして祈っていただきました。その2年後の16歳の時に日本の長崎県佐世保市に交換留学生となり、初めて日本に来ることができました。

 日本のリバイバルについてですが、2017年頃に行われた青森県のクリスチャン集会で、主催教会の牧師婦人に幻が示されました。それは、神様の炎が、北海道ではない本州の一番北(青森県)に燃え上がり、イエス様を信じる者たちが、その炎を両手に掲げながら、スキーをはいて、日本各地に滑っていく預言でした。リバイバルは青森から始まるというこの預言を私は信じています!

 そのためにまず、祈りが必要不可欠だと思います。それぞれの教会のリーダーたちが自ら祈りの賜物を求め、祈りに成長し、信徒たちの模範となり、信徒たちと一緒に自分の住んでいる町のため、また日本のために切に祈るときに大きな変化が起こると思います。

次に、一致と謙遜です。リバイバルのために日本の教会は教団教派に関係なく協力しあい、ともに祈る必要があると思います。その一致のためにそれぞれが謙遜な心を持つことが必要です。

 最後に、犠牲的な愛です。リバイバルのために教会開拓をしていくことは必要不可欠であると信じていますが、この開拓には多くの犠牲が伴います。しかし、その開拓者なしではリバイバルは始まっていかないのではないかと思っています。

 8年前に教会のない青森県平川市に教会開拓のため一人で来ました。最初はだれ一人知り合いがいませんでしたが、現在英会話教室の生徒を中心に多くの友が与られています。地域に根差し、福音を通し神様の恵を分かち合う教会であると信じています。

教会のない地に教会を


 今、青森県平川市(人口3.2万人)に来て4年になります。何もないところからのスタートでした。神様は、6日をかけて、何もないところから世界をお造りになり、一日ごとに世界の形ができていきました。そして、神さまはすべてを完成して後、七日目にお休みになりました。平川の働きは今、形を整える段階にあり、まだ創造二日目のような状態かもしれません。6日目を目指し、平川キリスト福音教会という開拓の教会から、新しく開拓する教会を生み出すほどまでに成長することを願っています。

 2014年、公けの礼拝が始まり、毎週日曜日は少人数ですが、共に集まっています。一人で礼拝奉仕をすることは楽ではありませんが、かつて未伝地だった平川市で福音を宣べ伝えることができるという喜びがあります。活動としては、地域貢献ができるように子育てセミナーを主催したり、年に2回ほどゴスペル・コンサートをしたりしています。メインの働きは英会話教室です。現在57人の生徒のためのレッスン(週1回40-50分間)の後にはいつも10分間の聖書の学びをします。

 2017年は3月に、5人の生徒さんをオーストラリアに引率し、観光と語学研修とともに、母教会を一緒に訪ねることができ、素晴らしいときとなりました。

 毎年夏にはBBQをしますが、町田純福音教会の勇士(有志)達が、何時間もかけて来てくださり、とても助けられています。このBBQはお祭りのようなもので、美味しい肉の他に聖書のお話、ゲーム、スイカ割り、花火などをしています。2017年は初かき氷をしました!大好評でした。

 10月に房みよこ先生(横須賀クリスチャンセンター牧師)が来てくださり、英会話の生徒さんと良い交わりをしてくださり、とても力強かったです。11月には、英会話教室で初めてとなるスピーチコンテストを開催しました。生徒さん9人が、英語の絵本を暗記して発表しました。生徒たちの努力の成果を見ることができ、とても良かったです。

 そして、クリスマスには誰もが楽しみな大イベントがあります。クリスマスの本当の意味を知ることができるクリスマス会です。このクリスマス会でも、クリスマスメッセージとともにゲーム、キャロリング、ギフト交換、持ち寄りパーティをしています。

 多くの人の助けと祈りの支えがあるからこそ、ここまで来られました。これからも六日目のビション(成長した教会)をめざして前に進みます。


主はすべてを備えてくださる方


 4年前に平川市で開拓を始めようとしたときにまず家探しから始めました。貸家を探していたのですが、平川市内のすべての不動屋さんに電話したところ、答えは同じでした。「今、ちょうど物件がない時期でして」と言われました。貸しアパートが多かったのですが、見せていただける貸家がなかったのです。それに加えて、外国人に物件を貸すことになれていない町なので、ハードルが高いように感じました。しかし、神さまの召しに従い、平川に来ていたので必ず相応しい物件が与えられることを信じながらも、不安になりました。物件がなかったらどうしようとどきどきしながらも、思い切って、断られた一つ目の不動屋さんに直接お話しに行きました。そして、もう一度必要な条件を話してみました。わたしの出した条件は厳しいものでした。貸家に住みながら、そこを英会話教室と礼拝堂として使いたい、また看板を出したいと説明しました。お電話では断られましたが、実際このようにお話したら、なんと「物件が一つありますが大家さんがどう言うかわかりません」と言われました。大家さんに聞いていただいたらその大家さんがミッションスクール卒の方で快く貸していただくことができました。その貸家には今も住んでいます。振り返ってみると、神さまが一番ふさわしいところを用意してくださったと信じています。家賃が手ごろで、平川市の一番大きい小学校の近くにあります。英会話の生徒さんの多くはこの小学校に通っています。家は小さいですが、敷地が広いです。そのため、夏にBBQをしたり、野外コンサートをしたりすることもできます。家は小さいですが寒い冬に暖まりやすいので感謝しています。もちろん、今後、一番良いときに土地を買って、礼拝堂を建てるビションがありますが、神様が今一番ふさわしい貸家を与えてくださったことに感謝しています。

 平川に来る前から、オーストラリアからの支援金では必要の一部分しか満たされないことを知っていたので英会話教室を開いて、月謝を頂戴するつもりでした。しかし、入国管理局の方からは、「来日した最初から月謝を頂くことはお勧めできません」と言われました。そのため最初の三年間は無償で英会話を教えました。長年英会話を教えてきた経験があります。そして高度な資格を持っていることもあって、無償で教えるということは自分のプライドを捨てる必要がありました。このことは私にとって本当の意味で「しもべ」になるための訓練でした。もちろん、日々の必要が満たされるように神さまに、それまで以上に頼らなければなりませんでした。神さまは忠実な方で自由献金のみで教えていた時期も奇跡的に必要を満たしてくださいました。去年の4月から月謝を頂戴するようになりましたが、英会話教室は現在57人の生徒さんがいます。制度を変更してからも神さまがこの教室を祝福しつづけて下さっていることを心から感謝しています。


宣教師になって祝福されたこと


 14歳のときにイエス・キリストを信じる決心をし、水のバプテスマ、また聖霊のバプテスマを受ける恵みをいただきました。そのときから日本で宣教師になりたいという夢がありました。その準備として16歳のときに長崎県佐世保市の交換留学生になりました。高校を卒業するために一度帰国しましたが、宣教師になる夢を抱きながら再び19歳のときに日本にやってきました。しかし、正式に宣教師として派遣されたのはその後20年経った、38歳のときでした。初めて宣教師になる夢が与えられてから24年が経っていました。長年の夢がかなって宣教師になったのでとても幸せを感じています。しかし、実際に宣教師になって想像以上の祝福を受けています。宣教師になって祝福されたことについて述べたいと思います。

1、自分が初めて牧会することになって主の恵みによって成長させていただいていることです。平川の礼拝では月1、2回ビデオメッセージを用いますが、少なくとも月2回はメッセージの準備をしなければなりません。メッセージの準備もそうですが牧会において自分の力の及ばないことが多いので結果として主に委ねずにはいられない生活です。これは主の恵みです。自分にとって楽なことだけするのではないことで、成長ができると思います。

2、 イエス様が忠実な方であることをしみじみと感じる日々を送っています。常に神様が祈りに答えてくださる方だと経験しています。自分の力、能力、才能が乏しいからこそ神さまの助け、ちからが必要です。神さまが様々な方法で私に必要な助けを与えてくださって、今日に至っています。イエス様の使命に従って行動するときにいつも必要な助けが与えられていることを体験しています。

3、 素晴らしい出会いが多いです。平川市で出会った方々にとても親切にしていただいています。大変感謝しています。隣のSさんは母親のような存在で大変心強いです。開拓した当時からお世話になっているAさんは便利屋で雪かきを含めてなんでも必要なときに力を貸してくれます。近所の方また生徒さんから野菜や果物などをいつもいただいています。いつもみなさんの親切な心遣いに感激しています。そして、多くの子どもたちの成長を見守ることができることに、とてもやりがいを感じています。

4、福音を宣べ伝える喜び。イエスを信じるすべての人は福音を宣べ伝える務めがあります。宣教師としてのビザをいただいて 福音を宣べ伝えるための滞在資格をもって教会を開拓できる喜びはとても大きいです。宣教師の立場になって、福音を宣べ伝えることは当たり前であって、福音を宣べ伝えることが期待されています。それはとても素晴らしいことです。生ける御言葉には人々を自由にする力があります。

 神の言葉は生きていて力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。

ヘブル4:12


 ことばが人となったイエス様を日々証できる喜びは本当に大きいです。いつも神さまに平川市に送って下さったことを感謝しています。